「フカセ釣りにはウキがつく」は本当か 〜名人のウキと、あとから来た名前

「フカセ」と聞いて、何が浮かぶか

磯でも堤防でも、今この呼び名を耳にして思い浮かぶのは、ウキを潮に乗せ、コマセを撒きながら流していく釣りでしょう。釣具店の棚も、雑誌の特集も、動画も、その姿で埋まっています。

けれど、昭和の磯に立っていた釣り師に同じことを尋ねたら、まったく違う答えが返ってきたはずです。

昭和の仕掛け図には、何が描かれていたか

手元に、昭和39年に出た入門書『海釣りの楽しみ方』があります。巻末の用語集を開くと、「フカセヅリ」は、オモリをほとんど使わない釣りと説明されています。

同じ本には、クロダイなどは一般にフカセ釣りで釣る、とも書かれています。そこに添えられた仕掛け図を見ても、ウキはどこにも描かれていません。

昭和39年の入門書に載ったフカセ釣り仕掛けの図。道糸、丸カン、ハリス、小さなオモリ、ハリだけで、ウキは描かれていない
フカセ釣り仕掛けの一例。ウキはなく、ハリのすぐ上に小さなオモリがつくだけ(塩地和男ほか『海釣りの楽しみ方』西東社、昭和39年、p.208より)

名人に、昔の釣り師がこの言葉をどういう意味で使っていたのかを尋ねると、「エサの重みだけで落とす。何かに引っ張られて横に動かないように、とにかく自然に見せる。それを魚が、これは自然のものだと安心して食べる。それを目的としたのがフカセ釣り」と話してくれました。

名人の著書『釣りはウキで決まる』(昭和60年)でも、フカセ釣りはミャク釣りやブッ込み釣り、カカリ釣りと並んで、ウキを必要としない釣法のひとつに数えられています。

昭和の磯のフカセ釣りの仕掛けには、ウキがついていなかったのです。

細いウキ一本が、磯の何を変えたのか

昭和50年ごろ、関東の磯で使われていたのは、玉ウキとアタミウキがほとんどでした。大きなウキに大きなハリ、アワセはウキが完全に沈んでから。それが当たり前の時代です。

そこへ、ヘラブナ釣りで腕を磨いた若い釣り師が、ヘラウキのように細いウキと、小さなカワハギバリを持ちこみました。相模ナンバーの車で通ってくるので、千倉の釣り師たちは彼を「相模名人」と呼びました。のちの遠矢名人です。

名人がウキに求めたことは三つありました。投げ入れたとき、狙ったポイントにポンと決まること。波の中でも姿勢がぶれないこと。そして、魚が触れただけの小さなアタリまで見えること。一つ目の考え方は、のちに名人が「ダイレクトポイント(DP)」と名づけたウキにつながっています。

試作をくり返したウキを、千倉の浜市釣具店の主人が店の水槽に放り込みました。ウキはスッと立ち、指でチョンと押すと、きれいに沈んでいきました。「立ちウキ」という呼び名は、この場面から生まれたといいます。それまでにも「立ウキ(たてうき)」はありましたが、仕掛けの重みで立たせるもので、ウキ単体では立ちませんでした。

評判は、新聞より先に釣り場で広がっていました。記事が出る前から、浜市釣具店にはこのウキの注文が殺到していたといいます。昭和51年12月5日、スポーツニッポンがこのウキを「千倉の磯釣りを一変させた〝奇跡〟のウキ」と紹介します。名人が当時、特許庁に出した実用新案の書類(実開昭53-89486「魚釣用浮子」)には、それまでの仕掛けと、名人の仕掛けが並べて描かれています。

実用新案の図面。左はウキの下の道糸にオモリがつく従来の仕掛け、右はオモリがウキの下端に入った名人の仕掛け
実用新案公開 実開昭53-89486の図面より。左の第1図はそれまでの仕掛けで、ウキ(10)の下の道糸にオモリ(11)がつく。右の第2図は名人の仕掛けで、オモリ(3)はウキ(1)の下端に入り、道糸にはついていない

ウキにオモリを入れること自体は、名人より前からありました。ただ、そのオモリは、ウキが水面でひっくり返らないための重りでした。

雑誌が「遠矢ウキ」をほめたのは、オモリが入っていることそのものではありませんでした。ヘラウキの感度を磯に持ち込み、最下部のオモリとのバランスで、ウキ単体で水中に立たせたこと。外につけるオモリは小さなガン玉を数個ほどにして、水面が喫水点にくるよう浮力を決めたこと。そして、ウキの下の道糸のオモリを最小限にし、コマセとともに流したこと。それが一つになって、千倉の釣りを変えました。

名人は、「もともとメジナ用だったから、ウキ下のガン玉は少なくてすむ設計だったんだよ」と振り返ります。

雑誌もあとを追い、昭和54年のつりマガジンは「ちょっとした遠矢ウキのブーム」と書きました。翌年には、つり人が表紙に遠矢ウキの名を掲げて特集を組みました。その中で、遠矢ウキを使っていた堀江英之さんは「このウキはコマセとともに流すために考案された」と記しています。名人自身もこのころから、つりマガジンに26年間、海釣りガイドに30年近く、毎月記事を書き続けることになります。

雑誌『つり人』昭和55年3月号の表紙。下の帯に「メジナ・クロダイに最高!遠矢ウキ」とある
『つり人』昭和55年3月号(通巻405号)の表紙より

ウキを使いながら、ウキの下の重さはほんのわずか。フカセの「自然に落とす」が、ウキ釣りの中に入ってきたのです。

では、その釣りは何と呼ばれていたのか

名人自身は、この釣りを「ウキ釣り」と呼んでいました。昭和55年のつり人では「私の考案したウキ」と語り、昭和61年の出願書類には「浮子釣りをする漁法」と書いています。著書『釣りはウキで決まる』のまえがきにも、海釣りを始めてから「ウキ釣り一本でとおしてきた」とあります。同じ昭和61年に出た釣り本も、遠矢ウキの仕掛けを「普通のウキ釣り仕掛け」と紹介していました。平成2年には、つりマガジンの特別編集『クロダイ釣り』が、表紙に「遠矢釣法のすべて」と大きく掲げています。平成8年、名人は共著『クロダイ(チヌ)』の改訂版を出したときも、「はじめに」で自分の釣りを「私なりのウキ釣り釣法」と書き、名人の章の題も「クロダイのウキ釣り」としました。

市販の入門書では、変化はもっとゆっくりでした。昭和54年の『詳しくわかるクロダイ釣り』でも、昭和56年の『釣仕掛け全書』でも、フカセ釣りの仕掛けは、まだウキなしのまま描かれています。

ただ、ウキとフカセの組み合わせそのものは、昔からありました。昭和30年の入門書『魚の釣り方』では、ヤマベ釣りの章のフカセ釣りに小さな玉ウキがつき、オモリは使いません。巻末の用語解説にも、ウキ釣りの中にフカシ釣りとシモリ釣りがある、と書かれています。それでも呼び名は「フカセ釣り」「フカシ釣り」のままで、「ウキフカセ」という言葉はまだ出てきません。海の釣りの本にこの言葉が現れるのは、見つかった範囲では1980年代の後半から。平成4年に出た同じ特別編集の’92年版では、名人の記事の仕掛け図に「遊動・固定・完全フカセがこれ一本でOK」という見出しがつき、ウキの仕掛けにもフカセの名が添えられはじめます。1990年代の終わりには、「ウキフカセ釣りが主流」と書かれるようになります。

平成19年、名人の著書『遠矢国利のクロダイ釣り極意直伝』にも「ウキフカセ釣り」という言葉が載りました。名人は、それに違和感を覚えなかったといいます。そのころにはもう、この呼び名が当たり前になっていたからです。

いま名人に、昔からのフカセと今のウキフカセの違いを尋ねると、こう答えます。

「ウキフカセは、魚がエサを食べている水深の近くまではオモリで落として、そこから先を、エサの重みだけで自然に落とす。とくにチヌは、ほとんどそこでエサを食べているからね」

先日も、エサから30センチのところに大きなオモリをつけていた釣り師に、名人は「ハリスの長さが死んでいるから、ひとヒロぐらい上に上げてごらん」と声をかけました。オモリを上げたとたん、チヌが食ってきたといいます。相手を警戒させず、自然に落とす。呼び名が変わっても、目指すところは昔のフカセと同じなのです。

名前はあとから来た。名人は、ただウキで釣っていた。

参考資料

  • 塩地和男・高橋豊・長島泛子・久野敏郎『海釣りの楽しみ方』西東社、昭和39年
  • 川島好夫『魚の釣り方』愛隆堂、昭和30年
  • 佐藤魚水・佐藤勝義・北沢魚心・小俣博資『詳しくわかるクロダイ釣り』西東社、昭和54年
  • 釣魚研究会編『釣仕掛け全書』緑樹出版、昭和56年
  • 遠矢国利『釣りはウキで決まる』ゴマ書房、昭和60年
  • 遠矢国利・児玉市郎『クロダイ(チヌ)』西東社、昭和60年
  • 週刊釣りサンデー出版編集部編『仕掛けパターンBOOK 磯釣り』週刊釣りサンデー、昭和61年
  • つりマガジン特別編集『クロダイ釣り』(’90年実用ガイド)桃園書房、平成2年
  • つりマガジン特別編集『クロダイ釣り』(’92年実用ガイド)桃園書房、平成4年
  • 遠矢国利・山下正明『クロダイ(チヌ)』西東社、平成8年
  • 遠矢国利『遠矢国利のクロダイ釣り極意直伝』辰巳出版、平成19年
  • 『つりマガジン』昭和54年4月号、昭和59年12月号
  • 『つり人』昭和55年3月号
  • スポーツニッポン 昭和51年12月5日
  • 実用新案公開 実開昭53-89486、実開昭62-136170

※本記事は、遠矢国利名人への聞き取りと手元の資料をもとに構成しています。