ある会社の会長様が、遠矢という名前にご縁を感じて丁寧なお手紙を書いてくださいました。
「市谷の合戦当時、源義経の家来で本間重氏という弓道の達人がおりました。平家付人美女が沖の船上の帆柱の上に扇を掲げ、重氏に向かって”此の扇を討ち落としてみよ!”と罵り嘲笑った。重氏が馬上波打ち際まで迫り、見事その扇を討ち落とし。其のことを昨今まで言い伝えられ、「遠矢の矢」と旧遠矢小学校で教わった」とのことです。
そしてその遠矢の名前をつけた「遠矢小学校」をご卒業されたということでした。
今は、その小学校は和田岬小学校となっています。
私たちも驚きまして、兵庫県の神戸に「遠矢浜」があったとは知りませんでしたし、「遠矢の矢」というのが歴史的にあったということで、感慨深いものがありました。お客様の中には「矢のように遠くまで飛ぶ」から遠矢ウキと名前をつけたと思ってらっしゃる方も多いようです。
遠矢の名前は、南九州の川内市〜小林市の地域が最も多く、遠矢国利名人の遠矢家も代々、宮崎県小林市のあたりで家系がつながっております。でも、もしかすると遥か昔、どこかで遠矢浜と繋がっているのかもしれませんね。
歴史のロマンを感じます。
遠矢という名前によってできたご縁を大切にしたいと思いました。ありがとうございます。
(「太平記」によると、湊川の戦いの折、義貞が「摂津和田岬」一帯に布陣した際、沖に尊氏の軍船が現れ対陣した。この時、弓の名手である重氏が和田岬の波打ち際から、沖の船に向かって遠矢を放ち命中させ両軍の喝采を浴びたという。このことから周辺の地は「遠矢」や「遠矢浜」と呼ばれるようになり、「和田岬小学校」校内には「本間重氏遠射之跡」を記した碑が建てられている。wikipedia より)